仕事の権利と成長は切り離せない|守られる時代だからこそ考えたい働く意味
現代は、昔に比べて労働者側の権利がしっかり守られる方向に進んできました。
これはとても大事なことであり、正しい流れだと思います。なぜなら、日本社会には実際にブラック企業、ブラック労働、残業代が払われない、長時間労働が当たり前、そういった時代が確かにあったからです。働いても働いても報われない、会社側だけが利益を持っていく、経営者や一部の人だけが得をして、現場の人間にはきちんと還元されない。そうした歪みが、長い時間の中でいろいろな負のものを生んできたのだと思います。
氷河期世代の苦しさや、心身を壊しながら働いた人たちの話を見ても、会社側に問題がなかったとはとても言えません。むしろ、搾取していた側面は確かにあったのだと思います。
だからこそ今、制度が整い、労働者が守られる方向に是正されてきたことは、とても意味のあることです。
ただし、ここで一つ考えなければいけないのが、権利と成長は別ではないということです。守られることは大切ですが、その権利の意味を履き違えてしまうと、自分自身の成長を止めてしまうこともあるのではないかなと思います。
守られるようになった背景を知らないまま権利だけを見る危うさ
今の若い世代の中には、今ある労働環境が最初から当たり前だったと感じている方もいるかもしれません。
それ自体を責めたいわけではありません。自分が経験していない時代の痛みを、完全に実感することは難しいからです。
ですが、今ある労働者の権利というのは、最初から自然に存在していたものではありません。過去に無理を強いられた人たち、壊れていった人たち、理不尽に扱われた人たちがいたからこそ、少しずつ社会が変わってきたのです。
だから感謝をしろという話ではありません。ただ、その背景があった上で今の時代があるという事実は、知っておいた方がいいのかなと思います。
背景を知らないまま権利だけを切り取ってしまうと、働くことの本質や、自分が置かれている立場を見失いやすくなります。自分は守られて当然だ、嫌なことはやらなくていい、意味を感じないことは断っていい。そうした発想だけが強くなると、仕事の現実とはだんだんズレていくことがあります。
権利があることと、義務が消えることは違う
労働者には権利があります。これは当然です。
ですが同時に、働く以上は義務もあります。そこは切り離せないのかなと思います。
会社に入る時には、労働契約があります。役割があります。業務があります。その中で自分が何を求められているのか、何を引き受けてお金をもらうのか。これはやはり社会人として考えなければいけない部分です。
例えば、自分がやりたくないからやらない。意味がわからないからやらない。残業したくないから途中で帰る。それ自体を一つ一つ切り取って見れば、本人の自由や権利として語られることもあるかもしれません。
ですが、それによって仕事が納品されなかったらどうなるのか。顧客へのサービスが止まったらどうなるのか。結局、その会社の利益が生まれないということになります。
そして利益が生まれなければ、当然、給料も安定して払えなくなっていきます。会社というのは顧客がいて初めて成り立つものです。そのロジックを無視して、ただ権利だけを主張しても、最後には自分たちの土台そのものが崩れていくことになります。
仕事は一人で完結していない
仕事の怖いところでもあり、現実的なところでもあるのが、仕事は一人で完結していないということです。
誰かが途中で投げたものは、誰かが拾わなければいけません。誰かがやらないと決めたことは、別の誰かの負担になります。職場というのは、そういう連なりの中で成り立っていることが多いです。
だから、自分は権利を行使しただけだと思っていても、その裏では別の人が尻拭いをしているということが起こります。
これはとても冷たい話に聞こえるかもしれませんが、人に迷惑をかけている自覚がないまま働くことは、やはり危ういのかなと思います。
もちろん、無理な働き方をしろという話ではありません。ブラック労働を受け入れろということでもありません。ただ、自分の行動がどこにつながっているのか、その想像力は社会人として必要なのではないでしょうか。
成長は、楽をした分だけ遅れることがある
楽をすること自体が悪いわけではありません。
効率よく動くことは大事ですし、無駄な苦労をわざわざ背負う必要もありません。ですが、やりたくないことを避け続ける、面倒なことを全部人に回す、できないままでいいと開き直る。そういう形の楽さを選び続けると、やはり成長は止まりやすいです。
仕事をあまりしないと、当然ながら仕事はできるようになりません。経験が増えないからです。失敗もしない代わりに、成功の感覚も掴めない。責任を負わない代わりに、自信も育たない。そういう状態になりやすいのだと思います。
その場では気楽かもしれません。ですが時間が経つと、その差は大きくなります。
周りはできることが増えていく。任されることも増えていく。信頼も積み重なっていく。その一方で、自分は何も積み上がっていない。そうなると、年齢だけを重ねて、いざ本気を出したいと思った時に、誰も教えてくれないという状況になることがあります。
長く働くからこそ、成長を自分の利益として見る
労働というのは、結局かなり長い時間続くものです。
二十歳前後から働き始めれば、そこから何十年も働くことになります。もちろん人によって形は違いますし、早くリタイアする人もいるかもしれません。ですが、多くの人にとっては、かなり長い期間、仕事と関わりながら生きていくのが現実です。
その中で、ただ嫌だからやらない、面倒だから避ける、意味がわからないから拒否する、そういう姿勢だけで何十年もやっていけるかというと、やはり難しいのではないかなと思います。
だから、仕事を自分自身の成長として捉えることが大事になってきます。
会社のためだけに頑張るという考え方では、しんどくなる人もいるでしょう。ですが、自分の技術、自分の経験、自分の言葉、自分の信用が積み上がっているのだと思えば、少し見え方は変わってきます。
今やっていることが、あとで自分を助ける。そう思えれば、働く意味も少し現実的になるのかなと思います。

権利を持つ時代だからこそ、使い方に知性が必要になる
今は権利が守られる時代です。
それはとてもいいことですし、昔のような理不尽をそのまま受け入れる必要はありません。明らかにおかしいこと、違法なこと、不当な扱いに対しては、しっかり声を上げた方がいいです。
ただし、権利というものは、使い方に知性が必要なのかなと思います。
自分を守るために使うのか。未来を壊す方向で使うのか。職場をより良くするために使うのか。ただ責任を避けるために使うのか。同じ権利でも、その使い方で結果は大きく変わります。
だから、権利があるから何をしてもいいではなく、この権利をどう使えば自分にとっても周りにとっても意味があるのか、そこまで考える視点が大切なのではないでしょうか。
働くことの意味を、自分の中で持っておく
結局、何のために働くのかという問いに、自分なりの答えを持っておくことが大事なのかなと思います。
生活のため、お金のため、それも立派な理由です。家族のため、自分の夢のため、それもいいと思います。あるいは、社会の中で自分の価値を作るため、自分を成長させるため、そう考えてもいいでしょう。
どんな答えでもいいのですが、何も考えずに流されて働くのと、自分なりの意味を持って働くのとでは、積み上がるものが変わってきます。
仕事のすべてが楽しいわけではありません。意味がわからないと感じる業務もあるでしょう。ですが、その中でも、自分は何を得るのか、自分はどう成長するのか、そこを見失わないことが大切なのかなと思います。
最後に
労働者の権利が守られるようになったことは、とても大切な進歩です。
過去に理不尽な搾取があったことを考えれば、是正されてきた流れは正しいと思います。ですが、だからといって権利だけを切り取って、義務や責任、成長を見なくなってしまうと、自分自身の未来を狭めることにもなりかねません。
仕事は一人で完結していない。顧客がいて、会社があり、周りの人がいて成り立っています。そして、自分の今の働き方は、そのまま自分の将来の力になっていきます。
守られる時代だからこそ、どう働くのかを自分で考えること。権利を持つ時代だからこそ、その使い方に知性を持つこと。そして、働くことを自分自身の成長にもつなげていくこと。それが今の時代に必要な視点なのではないかなと思います。
